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文久2年閏8月19日(1862.10.12)
【京】武家伝奏坊城大納言、守護職の職掌を問う書簡を幕府に発す。
【江】勝海舟、松平春嶽に海軍振興のための人材登用と対馬開港を説く

■守護職就任
【京】文久2年閏8月19日、武家伝奏坊城大納言、守護職の職掌を問う書簡を幕府に発しました。

京都守護職の新設を知った朝廷は、京都を武力制圧する策略なのではないかとの疑念を抱き、伝奏を通して守護職設置の理由を尋ねたのでした。

参考>『続再夢紀事』一(2003.10.20)
関連:◆文久2年閏8月1日(1862.9.24)−【江】守護職就任(17)会津藩主松平容保、京都守護職拝命/

■幕政改革へ
【江】文久2年閏8月19日、軍艦奉行並の勝海舟は、松平春嶽に海軍振興のためには人材登用及び対馬の上知・開港が必要だと主張しました。

幕政改革の一環で、2日前の17日に軍艦奉行並に登用されたばかりの勝海舟は、この日(登城した際?)、春嶽と老中水野忠精に軍艦幡龍丸(安政5年に英女王から寄贈された蒸気船)の修復を早急に進めるよう指示されました。将軍家茂の上洛に軍艦を使うことが考えられていたからです。さらに、春嶽は、海舟に海軍はどうすれば盛んになるかと質問しました。これに対して、海舟は身分に拘らない人材登用及び対馬の上知・開港だと答えました。(<当今乏しいものは人材です。皇国の人民から貴賎を問わず有志を選抜せねば、人材を得ることは極めて困難でしょう。ただ、幕府の士のみで対応させようとすれば、隆盛は無理でしょう。また、対馬島は英仏が懇望しています。これはロシアの極東進出を防ぐための策です。速やかにこの島を上知(幕府領とすること)し、良港を開き、貿易地とすれば、朝鮮・中国との往来も開け、海軍振興の端緒となるでしょう>意訳ヒロ)

参考>『勝海舟全集1幕末日記』(2004.1.8)
関連:◆閏8月11日(10.4):幕府、横井小楠の意見を容れ、来年2月の将軍上洛を内定(&将軍上洛問題背景 閏8月19日(10.12):軍艦奉行並勝海舟、松平春嶽に海軍振興のための人材登用の必要性を陳述 閏8月20日(10.13):海舟、海軍制度改革会議において軍艦配備よりも人材育成の必要性を主張。 11月19日(1.8):横井小楠、勝海舟に「攘夷は興国の基を言に似たり」と返答


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